黄金酒造株式会社

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ブルーオーシャン


ANA全日空との付き合いは古いが、航空各社のマイレージサービスが始まって以来一段と深くなった。
東京と鹿児島の往復を主に、毎年プラチナサービスレベルのフライトを維持していますが、これは年間50回のフライトか、もしくは50,000マイル達成というのがひとつの基準になっています。
JAL日本航空を当初から嫌った訳ではないのですが、マイレージサービスの制度上どちらかに集中させてしまうことになるので、当時、ベテランで綺麗なCAの多かったJALを選ぶか、まだ初々しさが歴然と残るCAばかりのANAを選ぶか、実のところ悩みましたが、応援するつもりでANAに決めました。
男は馬鹿だから、先日のニュースで株式上場廃止後・事実上倒産のJALのCAたちの搭乗前のフライト打ち合わせで、涙ながらに一生懸命にお客様サービスに頑張りましょう、とのシーンには実際、心動かされ、今からでもJALに乗り換えてあげようかなどと不埒(ふらち)なことを考えた。
調べてみたら、ANAの国内線のマイレージサービスがスタートしたのが、1997年4月1日で、今から13年前。
すでにこれ以前から頻繁に東京・鹿児島を往復していたし、その他、社長の営業のお供で全国を駆け巡っていた頃だから、今以上にフライトの回数は多かったかもしれません。
そして、そのわたしの上を軽ーく行くのが親父でしたから、年齢のことを考えるとあのころの親父のパワーは超人的というほかありません。
その頃のお供のおかげで、いつの間にか私も旅慣れて、年齢の割には全国の旅の要領が身に付いたものです。

記憶に残るお供は、ヨーロッパに5度ほど旅した内の医聖ヒポクラテスの聖地ギリシャ・コス島をお供して訪ねた時と、今でこそ猫も杓子もモンドセレクション最高金賞受賞などと騒いでいますが、30数年前たぶん日本で初めてに近いことだと思いますが、我社の商品が最高金賞を受賞し、ベルギーのブリュッセルの授賞式に参列したときです。
親父は家紋である九曜の紋付・羽織袴のいでたちで登壇し、日本のサムライだと満場の拍手喝采を受けました。
私も新調したタキシードに蝶ネクタイで必死に親父の雄姿・晴れ姿をカメラに収めた、正に生涯忘れられない、お供冥利に尽きる旅となりました。
今、考えると親父はすでに30年先の世界を歩いていたのかと、つくづく思い知らされて涙が出てきます。

今のようにインターネットによる事前の座席指定が出来なかった頃は、社長指定の前方窓側の座席の確保は大変で、早いもの勝ちか、コネでとるしかなくて、そこはお供の私の腕の見せ所となりました。
前方席はスーパーシートでありながら、まだ料金設定の無い時代でしたので、勇躍そのチケットを確保して手渡すときは実にうれしかったものです。
親父は乗り物に乗っている時は、決して目を閉じて眠るような事はありませんでした。
一通り全ての新聞に目を通すと、小さな窓の先に広がる白く輝く雲海を見つめては、何かを考えている様子で、侵しがたく、実にスーパーシートの似合う人でした。

最近読んだ美月あきこさんの「ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣」になるほどと言うことが書いてありました。
ファーストクラスに乗られる方に共通するのが、一代で創業され、その苦しい時代のことを億尾にも出さずに、穏やかに配慮に溢れた態度でCAに接するところだそうです。
いわゆる人格者で、尊敬に値するお客様ということで、中国では『貴人』といわれ、最近そのような徳のある人に出会えたかが挨拶代わりになるそうです。
そして更に共通して言えることは、ほとんどの方が、ブルーオーシャンを航海されてきた方ばかりだそうです。
経営学で言う、競争の激しい既存の市場をレッドオーシャン、競争のない新たな市場をブルーオーシャンと呼び、起業で成功するコツはこの「人の知らないこと、人のやらないこと」を探して航海することだと言われています。
親父も悠々と自分のブルーオーシャンを航海してきたのかと思うと、いまさらのこととは言え、その死が惜しまれます。
写真はモンドセレクション授賞式前夜の歓迎パーティー、タキシード着用で、私が22歳、親父が確か58歳。
今の私が58歳だから、似てると言えば似てるか、微妙。

動画は芋の苗きりシーン。2月にふせこみをした芋がこんなに立派な苗になりました!




こちらは苗植えシーン。苗植えは社長自らやってます♪




2010/3/23













薩摩藩上屋敷


今年から来年に掛けて東京と大阪にアンテナショップを設けようと思っています。
ここ鹿児島に仕掛けを作って、お客様を待ち受けることも大切ではあるけれど、物によってはお客様の沢山いるところに出て行ったほうが話が早い場合があります。
人口の密集化によって今、全ての小売業が都市型化・駅構内化し、そしてネットショッピングなどの通販型がさらに増えているそうで、そう考えると、じっとしてはいられない気分になります。
百貨店の全国物産展を見ても分かる通り、南か北か観光地などの有名物産展はどこも大盛況で、鹿児島天文館唯一の百貨店となった山形屋の北海道物産展の売上はちなみに、日本一です。
北海道に一度は行ってみたいという鹿児島県人の憧れは、札幌の人にも言えることで、先週の札幌の展示会では、「岡山までは言ったことがあるけれど、そこから先の西の方は言ったことが無いのよね」と、西という単語がまるで唐・天竺の地の果てのような言い方で、良いところなんだろうねえ、と焼酎を飲み干す笑顔に共に日本語が通じる幸せを感じます。

新幹線が大阪まで直通になるのだから、大阪にアンテナショップを作れば、と思いますが、実は日本の情報ネットワークは東京を基点としている為、まず東京を押さえることが必須となり、逆に大阪だけだと効力は半減するそうです。
因みに霧島市・商工会議所の役員をしている私は、先日、市の観光PRのため東京のビッグサイトの展示会に駆り出されました。
若い頃はこの手の展示会には良く出ていたのですが、この歳で一日立ちっ放しは、最後は腰にきて動けなくなります。
椅子に座りながら感じたことですが、情報を積極的につかむ努力を東京や大阪で常にしていないと鹿児島で櫻島ばかり見ていては、方向が分からなくなってしまうなと。
要するに情報の収集とは、どれだけ沢山の人と接したか、と言うことですから。
幕末の薩摩藩は地理的にも最悪の遠隔地で有るが故、江戸・大阪・京都に藩の上屋敷・中屋敷などを置き、徹底した情報収集と、今で言う大使館の役目を果たしていました。
幕末のあの時代に坂本竜馬と西郷に接点があって、新婚旅行に誘っていることを考えると、現代では考えられないほどの濃密な人としての付き合い方をしていたのだろうことが、うかがえます。
この人の情報ネットワークと密貿易による経済力が倒幕から明治維新成功の原動力となっていることは間違いありません。
ドラマ「坂の上の雲」や坂本竜馬ブームそして民主党の勝利は、閉塞感溢れる現状を打破してほしいと願う国民の素直な気持ちといえます。
我社もそろそろ上屋敷と思うことも、自然な感覚なのかもしれません。
写真は全日空の鹿児島の会員ラウンジで蘭がサービス酒に。

2010/2/27




















鹿児島から札幌へ



九州新幹線が来年2011年3月全線開通して、鹿児島・大阪間が直通で結ばれますが、非常に大きな経済効果が期待されます。
そのフォーラムに参加して色々とお話を聞いていると事前準備と事後準備が大変重要であることが理解できました。
この新幹線の名前は『さくら』に決定していますが、去年の2月に決定のニュースを見て『さくら』という名の焼酎を企画してみようと思い、すぐに弁理士の先生に依頼、『薩摩さくら』の商標を申請・取得しました。
後日、何気なく特許庁の商標ネットを検索していたら鹿児島の某大手酒造さんが『薩摩桜』でうちの1週間後に申請していることが確認できて、すぐに弁理士に確認させたところ、類似商標で却下されているとの報告でした。
たぶん、ひらがなのさくらでは取れないので、だめもとで漢字の桜で申請したのだろうと推測されました。
私が1週間ボーっとしていたら、この商標は他の会社に取られていたことになります。
これが事前準備、先の先を読んで状況を推測する能力と決断と実行力が要求されます。
大概の人はある程度の先を推理推測する能力をもっていますが、もっと突っ込んで状況を予知できて、さらに具体的にイメージが出来なくては、先見の明のある人とは言えないかも知れません。
これだけ、物の売れない時代の中で、1年後の会社の姿を推測することは大変難しいことですが、それが出来て初めて時代に乗り遅れずに、生き残ることが出来ると思います。
常に私は、こうなるかもしれない、ああなるかもしれない、といつも考える心配性ですが、それが癖にすらなっているかもしれませんし、またそれが楽しいのです。
では、事後準備とはなにか。
鹿児島県人は特にそうなのですが、熱しやすく冷めやすい、1年後の推測が出来て、やれ新製品だ、新しい企画だと盛り上がるのですが、祭りの後の2年後のブームが去った後の事を、今から考えておきなさい、ということらしいのです。
さすがに私も成程で、緊張感をもって生きて行くのは大変だなあと思いました。
2018年には青森を抜けて札幌まで新幹線がつながります。
初めて仲人を引き受けた吉川君と札幌で何年ぶりかの痛飲で、聞けば長女が18歳、自分も48歳になったと聞いて、俺も58歳だから無理も無い。
札幌では鹿児島県と焼酎組合の展示商談会、営業が肝心です。
翌日の北海道新聞に記事が出て関心の高さが感じられます。
動画は確かマガジンハウスの編集長の話です。
札幌は日中でも氷点下でしたが、裕次郎が歩いていそうなロマンチックさはさすが、札幌です。
もちろんカラオケは『恋の町札幌』



2010/2/25


















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