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アメリカの時そば
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勉強のすこぶる嫌いな私ではあったが、どういう訳か、仲の良い友達は皆、頭が良かった。
行儀のあまり良くない連中との付き合いも無く、学園闘争やシンナーで荒れた世相の中、私はそれらを距離を置いて眺めていました。
そのころの私は、博打打ち宜しく賭け麻雀にはまっていて、ヤバイ非合法なところにも出入りをし、武勇伝にも枚挙に暇が無く、もう一つの「麻雀放浪記」が書けるくらいにヤクザな日々を送っていました。
それもこれも学園紛争のなせる業で、学校に行っても授業が無いか、生徒が担任を吊るし上げるホームルームだったりで、ウンザリでした。
泣きそうな顔をした先生をいじめちゃいかんよ、と勝手な捨て台詞で雀荘に向かったもので、考えてみれば、このころの私は世の中を斜に見ていたのか、真面目な連中からは、悪いことに手を染めない悪い奴、そんなところが好感を持たれたのかもしれません。
先の見えたこの歳になって、つくづく学問の修養の大切さが身に沁み、何か心落ち着けて学びたいと思うのは、写経に代表される、いま流行の年寄りの冷や水なのでしょうか。
いま流行と言えば、インド式九九算「ニニンが四、ではなくてニニニンが八」も覚えたら楽しそうだし、源氏物語のような筆かな文字を練習して、も一度ラブレターを書くとか、臆面もなくやりたい事は山ほどあるのです。
その昔、ロサンゼルスのドラッグストアでタバコを買って、おつりを待っていたら落語の「時そば」よろしく、私らが暗算でいくところを、タバコの値段から私の出した金額までをひーふーみーとその店員は、声高らかに足し算で数え始めた時には、唖然としたものです。
まさかアメリカ人から、今なん時だい?と茶々を入れられるとは思いませんでしたが、この頭じゃ、アメリカも大したこたは無いなと思いました。
わが霧島市にあるソニーの工場には大量のインド人の高給取りがいて、ある飲み屋で知り合いのソニーの社員が、SE(システムエンジニアー)の彼らは俺らの5倍、年収5000万円だと嘆いていました。
政府の要人の方へ、国民の教育をおろそかにしてはいけません、教育は国家戦略の根幹です。
みんな、もっと勉強しないと美味しいところは、みんな持っていかれます。
2007/09/22
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女神の微笑
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なんてラッキー!と、誰かの頭上で女神が微笑みます。
もちろん、本人にその理由はわからない。
予兆を知らせる、女神の取り巻きの天使の気配すら、わからない。
天使が微笑んでも、唯の子供の可愛い笑顔ですから、ラッキーな事はおきません。
ここはやはり、女神様に微笑んでいただかないと、いけない。
そんなもの偶然さ、などと女神を邪険にしてはいけません、勝負の最中には、必ず現れ、微笑んであげようか、どうしようか、じっとその行方を見ています。
では、どうしたら、女神が微笑んでくれるのか。
鹿屋市にフェスティバロという、さつまいもを原料にしたお菓子屋さんがあります。
空港や百貨店では、『ラブリー』という常にお土産ナンバーワンの優れもので、原料のさつまいも自体も直営農場で生産する、農業生産法人でも有ります。
どこか、我が焼酎用原料のさつまいも『黄金千貫』を生産する農業生産法人「霧島農事振興」とダブらせて見ていました。
そのお菓子きっと、食べたことのある人は沢山いるはずです。
ここの会社見学会に同行して、社長郷原さんの話に刺激を受けました。
唯の人のなのです、一見。
ただ、この人には女神が微笑んだ、と思いました。
女性の働く場所を作り、希望を与え、味方にしてファンにした、大体そういう男は愛されます。
サマンサタバサだったか、なんだったか忘れたましたが、女性に囲まれ担がれた社長の嬉しそうな顔、見たことがあります。
この時代、女性の感性を理解することが流れを読み解くキーワードです。
2007/09/19
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音と書
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サザンオールスターズ、桑田(好きだから敢えて呼び捨て)の大ファンの一人として、そして敬意を表して『真夏の果実』という焼酎を造りました。
夏の恋の甘酸っぱさと思い出を胸に、ライム(本当はシークァーサー)をぶち込んでロックでやる、これが理想です。
30度のロックですから、調子に乗ってやると顔がヘロヘロになって天国に行ってしまいます。
流れる歌はもちろん桑田の『海』か、はたまた『真夏の果実』か。
いずれにしても夢心地。
音、音楽、楽曲というのは限りなく西洋的なものらしく、現代は正にこの音楽に支配されているそうです。
所謂、オーベー化の中で個人のスタイルとしての音とか、好みの音がそれぞれあるように思いますが、個性としての創作表現はなかなか難しく、桑田のような楽曲の天才が、そうざらにいるわけでは有りません。
カラオケの自分の持ち歌は必ず誰かが創ったもので、この歌、自分で創りました、なんてのは先ず無いはずです。
そこに現代の著作権と儲けの仕組みがあるように思います。
何か、自己表現権を剥奪され、人、ひとり一人の個性が育たない仕組みが出来ているようで、なんとも不愉快な感じです。
一方、東洋的なものとは何か。
それは『書』であるというものです。
この概念は、オーベーには有りません。
文字の美しさに関わらず、心を打つ直筆の手紙の重さや、絵画にも準(なぞら)える筆文字の美しさは、正に一人ひとりの自己表現の極致といっても過言ではありません。
そういう意味では、無個性なモンギリ型人間を作らずに、初等教育の段階で徹底した習字教育をやり、個性豊かな自己表現の出来る人間形成を考えるべきだと思います。
写真は、私がお願いして作っていただいた『花押』(かおう)で、[義]という一文字をくずしていただきました。
花押はその昔、武士のサインとして発達して、現在も内閣の公式書類の大臣名のあとに個人個人それぞれがサインします。
昔の殿様の交換書状にも本人確認を含めて必ずサインされています。
皇室には花押は無く(苗字もありませんが)、それぞれに植物の名と文様が決められますが、民間人の我々もこの手の遊びは、大いに真似て、感性豊かに人生を楽しんでもいいのではないか、と思います。
私はこれを書くたび、結構、気持ちが安らぎ、凛とします。
2007/09/18
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