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最も日本的なもの


地域興しにと新しいテーマパークが、どの町にも忽然と出来ることがあります。
世界の町並みを再現したり、あっと人を驚かす規模であったり、大観覧車だったりと、まあよく考えてみると、どこにでもあるなあと言ったものばかりです。
当初、客は暇つぶしを兼ねて殺到しますが、あっという間に閑古鳥。
テナントは次々に入れ替わり、お店といえば、画一的な物の販売やサービスばかりです。
妻の住む千葉界隈にも、ここ一、二年で目を見張る商業施設が忽然と現れたり、大規模リニューアルが行なわれたりと、テンポの速さには目を見張るものがあります。
その中で唯一、興味を引かれた施設がありました。
千葉そごうの中にできた、ご当地コーナーです。
と言っても、どこにでもあるナスやきゅうりの農産品ではなくて、風呂敷、糸ボタン、ろうそく、香、団扇、下駄、碁将棋、ミニカー、切手、と秋葉原の電子部品街を彷徨うような、ワクワクどきどき感や祭りの夜店の猥雑感があります。しかも、数ヶ月で店の入れ代わりが有り、飽きさせません。
日本情緒的なものが好きで、素晴らしいと言うのではなくて、店の『らしさ』が気に入ったのです。
そう考えるとテーマパークや大規模ショッピングセンターはどうあるべきなのでしょうか。
京都や奈良が不動の『らしさ』を維持している、そのことに惹かれるわけで、そこに本物や伝統といった安心感を感じとるのです。
では、京都や奈良だけがブランドか、と言えばそうでは有りません。
日本全国その地域の『らしさ』を磨き上げる事によって、新しい価値が誕生するのだと思うのです。
会社もまた、独自独特の『らしさ』を磨けば光ります。
最も京都らしいお座敷も、また機会があれば今度は和服で訪ねてみたいものです。
2007/09/18













豆腐屋稼業


私の好物に豆腐があります。
酒の肴にもご飯のおかずにもなり、ヘルシーで低カロリー、しかも栄養価は抜群ときています。
そして、ガンモ、揚げ、厚揚げ、豆乳、果ては高野豆腐、豆腐ようと非常にバラエティーん富んでいます。
やはり一番は、出来立ての本にがりの豆腐を、生醤油だけでさっさっといただく、といったところでしょうか。
昔はどのこ町内にも必ず散歩がてら、歩いて行ける範囲に一軒は、お豆腐屋さんはありました。
早朝、暗いうちからの働き者の、仲のよい夫婦というのが相場で、我々、小学生が朝、登校するころには一仕事終えて、店先に水を打ちながら、ぼくらの朝の挨拶に応えてくれるものでした。
テレビの人生の楽園という番組で、脱サラの夫婦が故郷で、新たに豆腐屋稼業に挑戦というストーリーで、しかも、おわら風の盆の祭りで有名な越中八尾で開業するというのを見ました。
風の盆の町流しというのがあって、朝まで踊るのだそうですが、奥さんはその夜の雰囲気に、鳥肌が立つほどの感動と深遠な日本情緒を感じたそうです。
鳥肌の立つほどの日本情緒とは、いかほど?と興味を引かれ、豆腐屋稼業もさることながら、私はその風の盆の町流しを一度、是非見てみたいと強く感じました。
今年の本番は9月の3日で終わったそうで、来年是非にも予定を立てようと思っています。
ところで、豆腐屋ですが、この歳になって自分の造った豆腐が食いたいと思うのは変でしょうか。
できれば、通り相場の、仲のよい夫婦二人、名の知れぬ町の片隅で、ひっそりと死ぬまで豆腐屋家業、なんてのも悪くないと思うのですが。

2007/09/17













三つ子の魂


新聞で面白い記事を読みました。
現代の人形師は江戸期の人形師に勝てないというもので、江戸期の職人の技は、目や眉、口元などその人形の仕上げの所謂、顔に命を吹き込む作業などの繊細さにおいては、とりわけ群を抜いていたそうです。
何故かというと、現代の高校卒や大學出の人間が弟子入りしても、その年齢からの修行では到底その域には達せず、高いレベルの技術の習得は年齢的に遅すぎて出来ないからだそうです。
何故、江戸期は出来たのか。
これはその当時の教育システムにあるようです。
江戸期は5歳位から寺子屋と呼ばれる手習い塾に、男の子も女の子も入り、本人のレベルにあった、落ちこぼれの無い教育を一人ひとりが受けることが出来ました。
ここにも現代の一律ヨーイドン教育を是正するヒントが隠されています。
そして10歳くらいから、商家の丁稚奉公に入るか、職人の親方のところに年季奉公に入るかして約10年間、親元を離れて、いわゆる「他人の飯を食う」社会生活に入りました。
このときすでに二十歳にして、他人の飯を食った立派な大人が出来上がっていた訳で、文句の付けようの無い立派なシステムだと思います。
そしてこの、幼少の頃からの技術の習得が、若い感性や柔らかい筋肉をもってして初めて、非常にレベルの高い作品の誕生を可能にしたというものです。
要するに、子供の頃から厳しくやれば、何事においても一流になれることを証明しています。
このことは、歌舞伎や能の世界の世襲による、幼少のころからの厳しい稽古が、伝統とともに一子相伝の技や遺伝子を伝えてることを見ると、納得がいきます。
市川海老蔵は伊達にモテてる、わけではないのです。
ここで面白い本を一冊。
徳川恒孝さんの『江戸の遺伝子』。
ご本人は徳川家の末裔で江戸時代の実相を淡々と書いておられますが、この本は目からウロコの、日本人であったことの喜びや嬉しさを教えてくれます。
現代の教育の荒廃やイジメの問題が瞬く間に消えてしまいそうな、江戸時代です。
人は何をもってして人生が楽しく、幸せだったと思うのでしょうか。
少し考えさせられる本でした。

2007/09/16











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