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おごれる者久しからず
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アメリカに於ける今回のトヨタのリコール騒動を見ていると、今までと違う異様で深刻な何かを感じるのは私だけだろうか。
天下のトヨタではあるけれど、世界という頂点を極めた者にとっては、他人に言うに言えない不安と更なる次への恐怖というものが有るものです。
永久とか永遠などとは有り得ぬ事で、それが組織やシステムの金属疲労を起こしたとしても別に不思議ではありません。
平家物語の前文をふと思い出して、丸暗記した若い頃を思い出した。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
流通業界の変遷を見ても分かる通り、三越の岡田社長の「何故だ」社長解任事件辺りから始まった百貨店業界の没落、そしてスーパーダイエーが新しい市場価値を提案し市場を席巻、さらにセブンイレブンのコンビニエンスストアが天下を握り、いま正に高級ブランドの低落の影からデフレの申し子、超優良児ユニクロ等の躍進と、ここ数十年でめまぐるしく変化しています。
では、ユニクロが永遠かといえばそんなことはありません。上り詰めつめた者は、また必ず落ちる事もこの世の事実。
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ
自由民主党もまた然り、戦後政治の中でひとつの役目を終え、後は消えいくのみと表現したほうが潔い。
言い換えれば、政党などとは社会が健全に維持機能される為の消耗品に過ぎない。
今でも好きになれない日本共産党が、最近では一番まともな政党に見えてくるから不思議です。
金権体質の正当な遺伝子を引き継ぐ小沢さんがいる民主党も、民主社会党といってもおかしくないのに、よく政権が維持できてるなあと不思議で、まあいずれ空中分解は必至。
いずれにしても、政治はボランテア、政治資金で不動産を購入する政治家など論外、特に地方自治は使命感に燃える大阪の橋下知事のような子沢山の若い熱血オヤジが望ましい。
何につけても『けじめ』をつけられないわが日本人の曖昧さと無関心さを、いつまでも良しとしていてはいけないのではないか。
先日、兄の友人でアルピニストの野口健さんと食事をご一緒する機会があり、その席で、戦後の日本政府の戦没者の遺骨収集のあり方が、あまりにも曖昧で官僚的であることを指摘されていましたが、私も同感でビルマの竪琴の水島上等兵のように、国家が亡くなられた方々に本当に申し訳ないという気持ちがあるのであれば、徹底した遺骨収集こそが、国家の国民に対する最低限の『けじめ』ではないでしょうか。
そこを清算し、乗り越えせずしての靖国論議は無意味です。
ひきかえ、アメリカの徹底した遺骨収集を聞くに及び、国家のアイデンティティを恥じるに至るものです。
このあたりから変えていかないと国歌すら歌えぬ国民ばかりになってしまいます。
動画は芋のふせこみシーン。テストでUPしてみました。。
2010/2/1
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薩摩のからいも作り
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島らっきょうの収穫は今頃、まだ身の細いうちが美味いものです。
今年の原料の生産計画を立てるに当たり、色々検討した結果、焼酎用の芋、黄金千貫は約100トン、麹用の米は50トンとしました。
芋100トンはフレコンの500sの袋に200袋、耕作面積で4町歩。いつの間にか気の遠くなるような広さになっていて、年間の段取りも体で理解できるようになって来ました。
西郷隆盛が征韓論に破れ、ふるさとに帰り、鹿児島の吉野でカライモ作りに精を出す話は有名ですが、なんとなく、東京の仕事時代が懐かしくなってきていることに自分でも気づいて、満員電車に揺られたり、帰りがけに夜の繁華街を彷徨ったりと、華やかな東京時代が記憶の彼方に消えてゆくことに悲しい様な、嬉しい様な、そして鹿児島の大地でカライモ作りの農業と向き合っている自分がいます。
米の50トンも半端な数量ではありません。鹿児島では、普通、米はモミで反(300坪)当り平均で0.7トン、ざっと7町歩の広さです。農業をご存知の方であれば、そろそろプロの領域に入って来ているとお思いのはずです。
これにレストランで使用する米や黒酢仕込み用の玄米を加えるとこの何倍かを必要とします。
今年の田んぼは、まだ3町歩ほどしか手配が済んでおらずあちこち当たっているところです。
何故、私は芋や米を自分で作る事にこだわるのか、お分かりでしょうか。
よくワインの話が出るのですが、ワインはぶどうを作ることから始まります。
決して他人任せのぶどうを原料にしたワインなどだれも信用しません。
焼酎造りも原料の芋作りからなのです。
小さな苗から蒸留まで一貫して見届けて飲む焼酎は実に美味いものです。
農業と醸造はワンセットであることを関係者は肝に銘じていてほしいのです。
写真は今年新たに加わった2町歩ほどの畑です。
一度器械を入れて整地してみました、とてもきれいな畑です。
今年は芋の収穫の後、にんにくをテスト的に植えるつもりです。
追伸、新年のごあいさつも無く、ご無礼さあでございますが、2月4日の立春過ぎまでごめんなさい、明けましておめでとうと言うには、まだ気分が晴れんのです。
もう一枚、12月29日最終日の社内忘年会、長男も元気です。
2010/1/25
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師走に奔る
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年金定期便が届き、60歳からこれくらい貰えますと案内が届いた。
俺も年金を貰う齢かいと、自分のお金なのに少し嬉しい様な悲しい気持ち。
振り返ってみれば、私の人生は戦いの連続だったなあと、この案内を読みながら、つくづくと考えさせられた。
何故か常に最前線での白兵戦の日々で、それも硫黄島やガダルカナル島の玉砕師団のさしずめ小隊長クラス。部下に慕われる気のいい現場の指揮官で、炎天下のもと、一緒になって蛸壺を掘っているような、今で言う町の小さな工務店の何でも出来てしまう社長といったところ。
自分の性格は、わたしの飼い犬同様、人様との接触の日々がまず楽しい寂しがり屋だから、大本営の参謀や将官といった孤高な役回りは決して回ってこない。
島津の殿様には何人かの名君がいる。
その中でも島津斉彬はつとに有名だが、私の贔屓(ひいき)は島津義弘。
廃版となった池宮彰一郎氏の『島津奔る(はしる)』がかの男を知る上ではベストだろう。
血沸き肉躍り、最後の項では不覚にもさわやかにページを濡らした。残念ながら池宮氏は脚本の仕事を多くやられて、勢い余って他人の文章の引用が一部に見つかり、この本は廃版となってしまったのだが、私は今でもこの本を読み返しては楽しんでいる。
この島津義弘の戦いの人生は大きく分けて四つ。普通ならばその中のひとつでも人生最大の大戦(おおいくさ)であるのだけれど、なんと四度の大戦を鮮やかに生きながらえ、その武勇をますます天下に知らしめることとなる。
九州平定のために明け暮れた戦いの日々。そして天下人である豊臣秀吉との命を掛けた戦い。その後、秀吉の命で朝鮮に渡り30倍以上の中国明・朝鮮連合軍の敵を殲滅した激闘。最後は豊臣方につ付いて迎えた徳川家康との天下分け目の関が原の戦い。
この戦いでは破れ、家康の眼前を敵中突破し、死闘の末50騎ほどになりながらも国許薩摩に帰り着く。
この『島津奔る』のクライマックスがわっせわっせと輿に義弘を担ぎ乗せ、正に遁走し、国許に君主を無事帰すため、次から次へと殿(しんがり)をつとめて散りながら、義弘を守った件(くだり)である。
そののち、生き残りの薩摩武者が城中の若者にその時の敵中突破の話を請われるのだが、最後、感極まって言葉にならず一同全てがすすり泣くといったところでは、思わず私も同席しているかのように涙した。
朝鮮では鬼の子曼図(シーマンズ・島津)といわれその名を聞いただけで相手は逃げたと云われている。
鹿児島に住んでいるとこの手のきかん坊が結構いるのに気付くが、この義弘いたって温和で控えめな性格であったそうで、とても戦に明け暮れる鬼のような人物ではなかったようだ。
私が感じる人物像は勝負勘の鋭さと喧嘩上手なところか。
トータルで評価すれば、間違いなく戦国時代において最高の指揮官と最強の武士団ではないだろうか。どこか無理やり自分とダブらせたくなる、いい男である。
ついでに、家内からなんか最高裁判所から封書が来ているわよと言われて、『何それ?』
裁判員当選おめでとうと皆から言われ、早々、年末ジャンボを買い奔(はし)る。
写真は忘年会で蘭の置いてある天文館の店に地回り。元気です。
2009/12/10
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