黄金酒造株式会社

お問い合せフォーム





会社案内
商品一覧
仕込蔵
全芋焼酎 蘭
全芋焼酎蘭が出来るまで

トップページ > 憧れの海日記
ツイッターのささやき

山陽新幹線ワゴンサービス

さよなら 無常

優しさの本質

幸せの行方

肉食系の忘年会

年に一度の無礼講

晴耕雨読

勝負の極北

ブルーオーシャン

薩摩藩上屋敷

鹿児島から札幌へ

おごれる者久しからず

薩摩のからいも作り

師走に奔る

めぐる季節

恩愛の掟

首の皮一枚

聖地横浜へ

吾唯知足

千年の古都

ありがとう 桑田

物事の本質と行方

あー松島や松島や

熟年離婚

女の敵は女

酒の肴と特産品

おしゃべりのDNA

師走の月

アメリカ的中国

団塊のセールスマン

火事と喧嘩は江戸の華

失敗の本質

人生を共有する

世代交代

リセット

モノの価値

見えない力

晩酌の相手

アメリカの時そば

女神の微笑

音と書

最も日本的なもの

豆腐屋稼業

三つ子の魂

夏らしい江口浜

憧れのサマーホリデー







モノの価値


高級外車にあこがれるのは、同じ人の子として当然ですが、私の場合、実用性の無いものにはほとんど魅力を感じません。
ドイツ高級車、乗ってみたい気もしますが、どうも気持ちの乗りが悪そうです。
この歳になるとオープンカーにも乗ってみたいと思うのですが、年間を猛暑と底冷えと豪雨で占められる鹿児島では、いつ乗るのよ、となってしまいます。
これは車に限らず、好きな陶磁器でも同じことで、飯茶碗、湯呑、大皿などそれをどう日常で使用するかをイメージして買います。
大皿は特に、これには湯がきたての枝豆を盛りつけようとか、おかべ(豆腐)を一丁ガツンと盛ろうとか、いきおい桐の箱に仕舞って、一人悦に入るような美術工芸的な飾り皿には魅力を感じません。
この陶磁器好きのDNAは母親譲りで、母も美術品には興味が無く、どうでもいいような茶碗皿がお客さんが多いからの理由で、倉庫には専門店が二三軒オープンできるくらい、未開封の品が山ほどありました。
ブランド品といえば、最近では小学生でもルイヴィトンのガマグチを持っていますから、日本は幸せな国なのかもしれません。
その中で最近カッコイイナーと思う、家内のトヨタのプリウス。
車に於ける付加価値の高さにおいては、実に素晴らしいもので、地球環境のことを考えると、これをカッコイイーと感じる時代のような気がします。
しかし、一口に新しい価値の創造とはいっても並大抵のことではありません、使命感と不動の信念、そして現状に満足することのない改善努力を必要とします。
立ち止まり胡坐をかけば、あっという間に舞台も主人公も変わってしまうものです。
農業県の鹿児島では軽トラックが生活上の必需品に近く、私もかねがね一台買おうかと思うのですが、まっ、トヨタからレクサスの軽トラでも出たら、真っ先に一台買おうかしら。
芋処理場は今年も7時前から大忙しです。

2007/10/01













見えない力


商工会議所の記念行事で突然、それでは国歌を斉唱します、と言われ緊張した。
思えば久しく国歌は斉唱していない、まさか忘れるわけが無いが、声に出して見ると異様な感動に包まれ、こりゃ、一体なんだろうと考えた。
世の中、人それぞれに様々な人生がある訳で、願っても叶わぬことや思いもよらぬ道を歩いたと、自分の意思ではない何かに導かれ、突き動かされていると、最近少し感じるようになった。
何の力かは分からない。
以前も書きましたが、何度か墓参りに行きましょう、の誘いを受けて度々先祖に手を合わせる。
お墓に向かって願い事はご法度と言われ、安らかにお休みくださいだけにしてください、とそうするとなんとなく現世のこちらの悩み事が、事も無げにトケテしまう様な気がしてきた。
誰かが助けてくれている、と素直に感じるようになるから不思議です。
記念講演は元陸上自衛隊幕僚長の森さんのお話。
イラク派遣当時の最高指揮官で、これだけの肝の据わった軍人らしい軍人が人材として自衛隊にいる事自体に誇りと安堵を感じました。
もう少し素直に、我々も国家の有り方というものを真剣に考えるべきと思う。
皇后陛下のねぎらいの和歌一首で、我々の苦労は吹き飛びましたの言葉は秀逸ものです。
その夜、万膳さんと痛飲、私も強いが彼には負ける。
彼も波乱の人生を歩む一人。
聞けば若い頃に父親を亡くした苦労人。
万膳さん、それって亡くなった親父さんがあんたのこと守ってんのよ、と言うと自分も妙な見えない力を感じるのだという。
その素直な気持ちが大切です。

2007/09/29













晩酌の相手


バーカウンターの少し高い椅子に座ろうとした瞬間、体重をかけた足に激痛が走る。
古傷辺りで、いよいよ疲労骨折かと思いはめぐり、早速、行きたくない病院へ。
結果は骨折ではなく、ちょっとした、じん帯損傷。
とは言え、歩けぬことに変わりはなく、暇な数日を過ごす羽目に。
事実上、単身赴任の身の楽しみは、月に一度我が家へ帰り、知り尽くした夕餉のメニューとたわいもない妻との掛け合いが心温まり、それが戦士の休息となる。
今日は暑かったとか、飛行機は満席だったとか、実にどうでもいいようなことを話す、そのことが嬉しくて、風呂上りの夕暮れる食卓に二人、お疲れさんの乾杯で全ては溶かされる。
この有り難さには、つくづく感謝しなければならない、と思う。
平岩弓枝さんの「伴侶の死」や松永伍一さんの「老いの美徳」などを読んでいると、相手がいなくなり、空気のような会話が出来なくなった夫婦の寂しさが一番辛いと書いています。
かねがね、家内はなぜ血のつながりの濃い肉親が、別れて暮らし、もともと赤の他人の夫婦が、角突き合わして死ぬまで生きていかなきゃいけないのかしら、と言います。
返す言葉がなく、返事に困ります。
しかしそこに夫婦の妙、人生の妙が隠されていて、たわいもない普通の時間の大切さが見え隠れします。
しかし、この小さな幸せが人生至宝の幸せであり、最高のときなのだと感じることが大切なのだ思うのです。
そういう意味では、夫婦に勝る晩酌の相手はこの世には存在しないのかもしれません。
写真はどうでもいい、30年来通う飲み屋街。



2007/09/25











[ 前へ ] [ 13 ] [ 14 ] [ 15 ] [ 16 ]
前の 3件 次の 3 件

COPYRIGHT(C) 2001 KOGANESHUZOU CO.,LTD. ALL RIGHT RESERVED.