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優しさの本質
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多少遅れましたが、あけましておめでとうございます。
さて、私の贔屓のコラムに高山正之氏の『変見自在』が有ります。
お馴染みの週刊新潮の名物コラムですが、結構目からウロコの話題があってとても面白い。
シリーズ化され単行本が出ているので好きな人は一読されたい。
この辛口コラム、非常に過激で危ういところも多いのですが、氏の思想の根底にある、優しく自然な日本賛美の感情が感じられて、その辺りが読者の安心と共感を呼ぶのかもしれません。
しかし、その真反対では痛烈な左翼批判、共産主義批判あるいは体制批判があって、実にバランス感覚よくこの社会のウソや作られた美談などを看破し、一刀両断にしている。
それにしてもこの世には実にウソが多い。
イラクのフセインが倒されてアメリカのイラク侵攻の正義が高らかに謳われている頃、氏のコラムには全く逆の「フセインのどこが悪い?」と明快に指摘している。
大量破壊兵器が有るとか無いとか、当時の小泉総理もあの時「アメリカがあると言っているのだからあるんでしょう」レベルだから、今にしてみれば情けないほど適当なウソばっかり。
おまけにあの地域を収拾のつかない泥沼地帯にしてしまった。
フセインが生きていればこその微妙な地域バランスが有ったわけで、土地の大親分を抹殺してしまったら群雄割拠の無法地帯と化してしまうのは当たり前。
終戦後、日本ではやくざ組織を利用して裏社会の秩序を維持しようとした当時のお上の方が一枚上手ではある。
その昔、なぜイラクとイランが数十年もの間戦争をしていたのか、なぜ中国とベトナムは同じ共産主義国家でありながら戦争するほど仲が悪いのか、このあたりの話、実はあまり私たちは知らないし、知ろうとしない。
最近日本に帰化した中国の石平氏の著書『私はなぜ中国を捨てたのか』に文化大革命の当時、毛沢東は紅衛兵を使って中国全土の歴史的文化財のことごとくを破壊してしまって、日本の京都のような文化財地域は無くなってしまったと嘆く。
本来中国にあるべき大陸文化の華が咲いた京都のような優美な風景を見ると感動するとともに、今の中国の節操の無さを嘆く。
もう一つ面白い話に、中国語の辞書には日本語で言う『優しい』という単語が無いという話。
そういう言葉とか概念が無いから表現することが出来ないとも言っている。
にわかに我々日本人には理解しがたいことだが、この『優しい』という概念を本質的に持つ日本人と粛清と破壊の限りを尽くした民族とでは感覚的に相容れない何かがある。
最近では日本人の中にも似たように首をかしげる輩が出てきていて心配だ。
ふと、私はとある東北の名湯といわれる旅館の大浴場で白人男性二人組みと一緒になったことを思い出した。
初めは私もギョッとしたが、そこは日本、雪降る露天風呂の隣が日本猿でも、「冷えますねえ」と猿にでも敬意を払う国民性だから直ぐに慣れたが、これは世界に誇れる周りの他人を思い遣る入浴スタイルだと思っている。
当たり前のことだが、日本での温泉入浴スタイルはスッポンポンの裸で皆一緒に入浴する、まして混浴スタイルなどは『優しさ』の感覚がないと成立しない。
この点、白人や中国人をはじめほとんどの外国人は自分の裸体を人様にさらすことなど出来ないから、この他人を思いやりながらの入浴スタイルは理解できないだろう。
そう考えると最近日本を取り巻く世界で起きている事柄は、この違いであることが分かる。
我々日本人は自分たちが本来持ち合わせている、このすばらしい『優しさ』の感覚にもう少し誇りと自身を持つべきではないだろうか。
数多くの人々と一緒に生きていく『お蔭様』のこころが無くなるようでは人は誰もついていかなくなる。
2011/1/23
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幸せの行方
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年末、この秋定年退職した東京の元総務課長、杉村君がわざわざ故黒岩会長の墓参に来てくださった。
人生の節目の儀礼とは言え、なかなかそう思っても出来るものではない。
郷里の宮崎に住む大正元年生まれの母親の見舞いのついでと言いつつも「私が家庭を持ち、無事子供たちを育てられたのも故黒岩会長のお陰です」「こうやって無事定年を迎えられたのも…」映画に出てくるようなセリフをすらすらと言われると、とっさに返す言葉が無く、目線をそらし、思わず空を見つめてしまう。
彼とは約35年間、苦楽をともにした言わば戦友。
青年期から壮年期のその思い出は数限りなく、おもわず目頭が熱くなる。
晩年は取締役でもまして総務部長にさえ推挙してあげられなかった申し訳なさと、自分の非力に対する不甲斐なさが気持ちを暗くする。
ああ、自分もいつの間にかそんな歳になってしまったのかと、人生の無常を噛みしめる。
年末に入って、連日忘年会の応援に総動員令が出る。
先日も宴会場フル使用で300人近いお客様、150人位がいいところの規模だから厨房も飲料もサービスもパンクの戦争状態。
問題は宴会終了後の下げと洗い場と掃除、その皿の数たるやハンパネエ。
翌日の準備をして帰りは夜中、これが週末は続く。
無論、土日の婚礼連荘の時も婚礼関係スタッフの帰りはその準備で夜中の12時を過ぎる。
気持ちよく酔っ払ったお客様を見ていて、この時間はいつも自分が酔っ払っているのかと思うとスタッフに対して申し訳ない気分。
みんなに、「もう大丈夫ですから上がってください」と言われて冷えたビールにゴクリと喉は鳴りつつも、その誘惑にホイホイと乗るわけにはいかない、そのつらさ。
しかし、この仕事は本当に好きでないと出来ない仕事。
しかもこれだけの辛い仕事をさせて、社員をなかなか幸せに出来ない不甲斐なさ、虚しさで気持ちが折れて自棄(やけ)を起こしそう。
人を幸せにする難しさと、幸せにしてあげられない辛さがこの年末は身に沁みる。
2010/12/12
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肉食系の忘年会
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打ち続くデフレの経済状況の中、焼酎業界も不況業種に再指定され、同業者と交わす言葉も「大変ですな−」ばかりで、政府の失政を今更問うたところでどうしようもない。
年末恒例のクリスマス・イルミネーションの点灯式が商工会議所の主催で行われた。
常議員でもあるので出席したが、ラスベガスのストリップ大通りのようなネオンで不景気の状況のこの中では少し猥雑な感じがして違和感がある。
しかし、鹿児島県内のいずれの中核都市である鹿屋市、出水市、薩摩川内市などなどは夜表通りを歩く姿は無いらしく、一人でも見かけると犯罪者扱いされそうだと誰かが嘆いていたが、その点霧島市国分は明るい分だけ、たいしたものらしい。
最近の若者の4割は一切お酒を嗜まぬそうで、間違いなく日本の飲酒人口は減少している。
おまけにまさかのウイスキーハイボールが復刻して飲酒の嗜好が違うところへ行ってしまいそうである。
因みに私はもともと炭酸系で、夏場は焼酎を炭酸で割って、焼酎ハイボールを楽しんでいたので、私の嗜好が常に先を行っているのかもしれない。
何の自慢にもならないが若い頃、浅草のアサヒビールの工場ビアホールで特大ジョッキ21杯を平らげて意気揚々と帰る中、地下鉄銀座線の車内で噴水のごとくもどして、乗客の大ひんしゅくを買った蛮勇を今の若者はどんな風に笑うだろうか。
個人差はあるものの、今の若者は結構コンパクトに無難にまとまっていて、優しくてそつがなく、他人とは争わずごくごく静かに生きている。草食系でこのタイプは酒を飲まずにスウィーツに走る。
女装系にもいそうだが、マツコデラックスや徳光さんの甥っ子みたいに肉食系を残しながらの女装系となるとなにがなんだか解からなくなってしまう。
写真の御仁は初登場の霧島商工会議所の西会頭。
正真正銘の肉食系で、汗と涙と心意気で昭和を駆けぬいた、表彰状ものの熱血漢です。
その辣腕で商工会議所を引っ張り続け、向かうところ敵なし、どこかタイプが見た目だけ似てるなあ、と感じつつ、そんなこんなで不景気の師走の忘年会は諸行無常の響きのなか、何も無かったかのように過ぎていく。
2010/12/4
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